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2013/04/30

【ネパール/ポカラ】二人そろってまさかの入院です

点滴中。このときは旅が続けられないかと思った……


窓の外には小雨がぱらついていた。
4月22日の朝、けだるい感覚と頭痛の中で目覚めた。今日はダンプスという街までミニトレッキングに行くためにチェックアウトしなければならない。

手持ちのお金に余裕がなく、溜まったホテル代を払うためとりあえずATMを探しに街に出た。

歩いてみるとなにか体の調子がおかしい。トレッキングは延期することにして、ベッドに横になる。次に目覚めたら昼過ぎだった。ゾッとするような寒気だ。ガンガンする頭で思いついた単語は

「ひょっとしてマラリア……」

熱を計ると38.5℃。慌てて嫁に病院を探してほしいと伝えた。宿の人に病院を聞き、タクシーを呼んでもらう。病院に着くと即入院が決まり、点滴を流し込まれる。

血液検査の結果、マラリアではなくバクテリアのインフェクション(感染症)と診断され、数日の入院を課された。バクテリア感染症とはいうが、要するに食あたりみたいなものだ。どこの食堂にもハエは飛んでいるし、生搾りジュースも飲んでしまったし、思いつく原因はありすぎて、よく分からない。朦朧とする意識の中、ここ数日の行動を振り返ってみる。


4月18日カトマンドゥを朝の8時に出発したグリーンラインというバスは15時過ぎにポカラに着いた。料金がひとり1750NR(1925円)という超高級バスで、昼食のビュッフェまで料金に含まれている。
バスの周りを囲む客引きを遠ざけ、ホテル『テンジンヒラリー』に投宿した。部屋は3階で、朝には窓からマチャピチュレが見えるという最高の宿だ。(ツイン 700NR ホットシャワー、WiFiあり)

窓から見える6000メートル級の山。ほかにも遠く8000メートル級の山々もある

天気が良く山が見える日にはパラグライダーが虫のように。大丈夫なのか

それから数日は朝食のパンくずを犬にあげたらついて来たり、窯焼きピザに感動したり、ボートに乗ったりと平和な日々が続く。ミニトレッキングに行くため、日程を調整していたら、冒頭の高熱に襲われたのだった。

ホテルの中に入ってきてしまった犬(まさお)。アホでかわいらしい

焼きたてピザにビール。「もう一本いっちゃいますか」と中国某ゲストハウス管理人の真似も飛び出す

青空の下でボートを漕ぐ。ダムサイドのボート乗り場には自称ガイドという日本語ペラペラのオジサンがいた

点滴を流され、まずい病院食に閉口してきたころ、今度はなんと嫁が39℃の高熱に倒れる。

ゆでたまごの味が変だったり、トーストからマサラの味がしたり。途中からはほぼバナナとジュースしか頼んでいない
雑な管理の点滴と注射。一応ディスポーザブルだった。点滴の穴を適当に刺すので、痛みで冷や汗が止まらなかった

健康優良児の嫁が高熱に倒れるのはインフルエンザ以来で人生2回めとのこと

頭痛、高熱、下痢、インド人看護師の適当攻撃で死にかける。でもドクターは非常に的確で信頼できる人だ


その後、嫁は4日間寝こみ続け、30日現在熱が下がり、やっと点滴が取れそう。
明日には二人とも退院できそうです。

数日で済むかと思いきや、バクテリアの時間差攻撃で1週間の入院に。高かったけど、海外旅行保険に入っていて良かった。




■病院情報


CELESTIAL HEALTH CARE CENTER

住所:35,Pragati Marg Baidam
Lakeside-6,Pokhara
TEL463271
・Guputa医師は英語が堪能で「吐き気」「点滴」などの単語は日本語で話してくれる
手首を触るだけで微熱も把握できる名医。やさしい笑顔と貫禄ある姿に安心することができた
・アシスタントはいい人ではあるが大変不器用で雑。何かとタイミングが悪い。「日本は高い、それいくら?」と聞かれる。
・アシスタントは英語が苦手。「ノー痛いサー」という謎の言葉を言いながら激痛なことをしてくるのでたちが悪い
・アシスタントの嫁もいるが役割は不明。病室に入ってきてはあくびかため息をついたり、注射のキャップをカツカツならして遊んだりと「頼む、もう出てってくれ」という行動多し


♫ポカラの入院ソング
『君と旅行鞄(トランク)』 はちみつぱい




2013/04/15

【ネパール/カトマンドゥ】 日本食三昧&喧騒を見守るブッダアイ

ボダナートにあるストゥーパ。4面にブッダアイがあり、浮世を見渡している


長時間移動を終えた僕らが、旅人の集う街・ネパールのカトマンドゥで楽しみにしていたことがあった。

それは『日本食』だ。
思い返せば中国での食は恵まれたものであった。多少辛さや油っこさはあっても、基本的に米とおかず、そしてビールもつけることができた。
バングラデシュではカレー&ビリアニ攻撃の前に水下痢で撃沈。ダージリンでは、インド料理を敬遠し、トーストとトゥクパ(ラーメンとは程遠いチベットの麺類)のみを食べていた。

カトマンドゥのタメル地区(安宿が集まる地域)には6〜7軒の日本食レストランがある。
多少高い(二人でビールも飲むと1000ネパールルピー=1100円ぐらい)が、僕らは懐かしの味を食べまくった。

見よ! この美味そうなハンバーグ定食!! 副菜の小松菜の胡麻和え、おしんこ、納豆も泣かせる
友紀子はナス味噌炒め定食に満身の笑み
空腹を満たした後は、街を散策。タメルは街の中心部なので、土産物屋や市場があり、フラフラするだけでも楽しい。

色鮮やかな服を着たマネキンが2階からぶら下がっている

ヒンドゥー寺院の周りではお供え物の花屋台が


数日後、ネパール最大のストゥーパがあるボダナートに向かう。
テンプーという乗り合いタクシーで約1時間(20〜30NR=22〜33円)だ。「ボダナート」と目的地を連呼していると、誰かしら目的のテンプーに連れて行ってくれる。

テンプーは軽トラもしくはトゥクトゥクみたいなもの。後ろから乗るタイプと横開きがある
ボダナートのストゥーパに到着。チベット仏教のタルチョ(旗)が揺れる
チベット人と思われる仏教徒が両手だけで寺院を周っていた
カトマンドゥに戻ると小道でもこの人口密度
寺院もヒンドゥーの神像(お地蔵さんみたいなもの?)も数多く、祈る人も真剣な表情だ

ネパール自体には人種も宗教も混在している。しかし、インドに比べて人が穏やかなのは、市井の人々を見守るブッダアイとヒンドゥー寺院があるからなのもしれない。そして旅人は知らず知らずのうちに優しきカトマンドゥに引き寄せられるのだ。


■宿情報

BAG PACKER'S LODGE


住所:Chaksibari Marg-29 Thamel
※タカリキッチンレストランの斜め前

・ダブル:ACなし、ファン・トイレ・24時間ホットシャワー・停電時も使えるwifi
1200NR (トイレ共同だと600NRぐらいかと。チェックイン時に税金込みにしてもらったほうがいい)
・久しぶりに安心して、清潔で、快適な宿だった。レセプションの人もいい人。混んでいることが多いらしい


♫カトマンドゥの街ソング
『オンマカペケポン』 作者不詳 
※いたる所で聞こえていたヒットソング。歌詞は密教のマントラだと思われる

2013/04/13

【ネパール/カトマンドゥ】くっさい24時間国境越え


インド・ダージリンでたっぷり静養した我々が向かう次なる土地は「ネパール」。
旅人の沈没地としても有名なカトマンドゥを目指す。

朝7時。
まずは山を下りシリグリまで向かう乗り合いジープを探す。
最大10人でシェアしてお金を出し合うため(安くするため)、人数が揃うまで待つことになる。

ところがシリグリに向かう人はなかなか現れず、客引きのおじさんたちもダラダラ。
しびれを切らし、「ほかの車で向かうよ」と言ったとたん、
俄然やる気をみせ電話をしたり、声をかけたり。

結局、私たちを含め3人と、途中地元民を拾ったり下ろしたりしながら、
のんびりとシリグリへと向かった。(約3時間、人数が少なかったため2人で200INR)

行きは猛スピードで移動した道程だが、帰りはかなりゆっくり。
たった3時間の移動にもかかわらずティーブレイクをはさみ談笑。


ついさっきまで涼しいダージリンにいたのに、シリグリは30度を越す暑さ。
子どもらに「ジャパニー」とからまれつつ、インド側の国境「パニタンキ」へ向かう車を探していると、
乗り合いの小型ワゴンが通りかかった。

小型ワゴンの中には、すでにお金持ちネパール家族4人と老夫婦2人が乗っておりぎゅうぎゅう。
荷物も多いため、暑い車内の中、文字通り重なりあって座ることになる。

にもかかわらず、なぜか運転手は道行く人に「パニタンキー」と声をかけ、
さらに客を乗せるつもりらしい。
もし乗せるとしても助手席にあと1人が限界(もちろん助手席にはすでに人が座っている)。
100メートルおきに車を止め熱心に客を探しに行く姿に
「そこまで満員にしたいのか…」とうんざりした空気が車内に漂う中、
運転手が意気揚々と連れてきたのは、父母に子供2人の4人家族であった!

どこをどうひっくり返してもあと4人乗れるスペースはないが
運転手は本気らしく、ドアを開け「さぁ乗れ」と促す。
さらに不思議なことに、そのお父さんも乗り込もうと試みたりしている。
「そこ、完全に他人の膝の上だよっ!!」

先に乗っていたネパール家族もさすがにブチ切れ猛抗議。
何を言っているのかわからないが、運転手も「乗れるよ!!」というジェスチャーで激ギレ。
さらに乗り込もうとする父に、「よしましょうよ」という顔の母(そう、あなただけが正しい)。

理解不能な不毛なやり取りがしばし続き、「そうか、これがインドだな」とニマリとしてしまった。

結局、その4人家族は乗れず(最初から当たり前なのだけれど)、
それでもあきらめきれない運転手はさらに客引きを続け、
1人を助手席に追加して何とか国境まで走ってくれた。
やれやれ。

インドのイミグレは書類を記入するだけですんなり通過。
オフィスへ向かうガランとした道の途中で、日本人の旅人とすれ違い言葉を交わしたのは
何だかちょっと感動的だった。

ここでいいのか不安になってしまうほど何もないインド国境・パニタンキ。

ネパール側の国境カカルビッタまでは、リクシャとともに徒歩で渡る。


錆びさびの看板に歓迎される。


ネパール側のイミグレも和やかに通過。
親切な担当者に教えてもらいながら書類を記入し、30日間のビザも手に入れる。(1人2500INR)

さらにここからカトマンドゥまでバスで約17時間の移動となる。
今までの移動の中で一番狭い座席で、かゆいクッションであった…。

出発してから約3時間は、走っているより止まっている時間の方が長く、
大量の荷物をバスの上に運んだり、そのため元々天井に乗ってた荷物を
車内に持ち込んでくくりつけたりと、かなり効率の悪い作業を繰り返していた。

私たちの席の横にも悪臭を放つ液体入りポリタンクが設置され、
この後の13時間が、地獄の移動となってしまった。
窓の外の空気もくさいし、中も臭いし───。
※このポリタンクのにおいは、私の人生の中における「臭いものNo.1」にランクインした

長く吐いて一瞬で息を吸う、オリジナル呼吸法など開発してみたが
決して太刀打ちできない悪臭であった。
あんなものを国境からカトマンドゥまで運ぶ必要があるのか・・・・甚だ謎である。
たぶんないよ。いや、絶対ないね。

この大量のさとうきびもバスの上へと運ばれていった。

バスの中。気休めにしかならないが悪臭対策武装。



出発から24時間超えてなんとかカトマンドゥに到着。
鼻や耳から次から次へと出てくる黒い物体に戦々恐々としながら
何も考えずに、ひとまず眠ることにした。

人気のないカトマンドゥにどうにか到着。

2013/04/12

【インド/ダージリン2】時速十キロのんびり観光


快適すぎる街インド・ダージリンには、結局6日滞在した。

弱った胃腸を癒すため、毎食トースト&オムレットで調整。
街に公衆トイレはないけれど、小さな街なので
少し歩いてはホテルに戻り…を繰り返すうち、無事、気力と体力を回復することができた。

様々な人種が生活するダージリン。
のんびり散歩していると、いま自分がどこの国にいるのかわからなくなる。

この表情が出たら「腹痛。宿に帰ろう」の合図。


ダージリンから南へ約11キロ、「タイガー・ヒル」という展望台に出かけた。
日の出を見るため、早朝4時出発。さすがに寒い。
乗合いジープに同乗した西洋人おばさん2人組が、終始
「コ~~~ルド!フォーーーーフォーーーーー」と叫んでいて、心底おそろしかった。
すごい自己主張だ。

タルチョがはためく広い空に現れた美しい日の出。

朝焼けと一緒に旦那を撮ったら、ニット帽がモジョモジョになっていることがわかった。
旅に出てから約2ヶ月半。私たちの格好もだいぶ汚らしくなってきた・・・。

雲が多いこの時期だが、運よく雄大なヒマラヤ山脈の峰も望むことができた。


さらに調子が出てきたので、憧れの「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」に乗ることに。
JOY RIDEといいDarjeeling、Ghum間を往復する列車が1日3本走るのだ(1人335Rs)。

車で移動したらたったの10分ほどの距離を、約1時間かけて移動する。
ここダージリンでは何もかもがのんびりしていて、今の私たちにはちょうどいい。

おもちゃのようなダージリン・ヒマラヤ鉄道。時速数十キロでゆっくりと走る。

窓からの景色。街の人や商店のすぐ横を通り過ぎていく。

シュッシューー

ポッポーーー

2013/04/08

【インド/ダージリン】 エヴェレストを望む天空の街

この向こうがバングラデシュ・インドの国境なんて島国育ちには想像がし難い


すっかりバングラの暑さにやられた僕らは、バングラの北東、シレット経由のタマビル国境越えをあきらめ、北西のブリマリからインド・ダージリンを目指すことにした。
本当はインドの東側、ナガランドも見てみたかったが、次回の旅に回すことにしよう。

4月7日、バングラデシュとインドの国境の街・ブリマリまでのバスチケットをダッカ中心部のモディジールに買いにいった僕らは衝撃の事実を知らされる。
明日8日はホルタル(ストライキ)ですべてのバスが動かない。さらに今回のホルタルは規模が大きく、9日、10日も続く予定があるという。
せっかく歯も治ったのにダッカに閉じ込められると面倒だ。出発が3時間後に迫った切符を購入し、慌てて荷物をまとめた。切符は1600TK(1920円)と割高だが、ダッカの中心部から国境を越え、インドのシリグリという街まで行ってくれる。19時間走る国際バスだ。

夕方18時、ダッカの中心・モディジールをバスは出発し、次の日の朝5時に国境の街・ブリマリに到着。
ブリマリにあるバス会社・BRTC(SYAMORI)の事務所。ここで国境が開くまで4時間近く待たされた
ずさんな管理のパスポート(笑)。国境で出国税300TKと手数料50TKを支払うとバス会社の人がイミグレまで連れて行ってくれる
国境沿いの売店で地元民に声を掛けられる。カメラを向けると親子が照れていた

朝8時半頃、バングラデシュ側のバス事務所でのんびり待っていると、人がみんな動き始めた。僕らも呼ばれ、バス事務所から50メートルほど離れたバングラデシュのイミグレに向かう。父親の名前と仕事など簡単な質問をされ、無事に出国のハンコを押してもらった。
その後、200メートルほど歩くと、もうインドだ。今度はインド側のイミグレで入国のハンコをもらう。
しかしここで僕たちは大変なことに気付いた。バスの中に上着とお菓子を入れた袋を忘れてしまったのだ。周りの乗客に聞いても「同じバスが来るからノープロブレムだ」と言っている。

インド側国境を越えて待っていたバスは、もちろん違っていた……。

バスの乗務員を捕まえ、文句を言うが、バスはもう発車しようとしている。
「国境越えで荷物を置いてくるなんて……馬鹿すぎる」
と後悔したその時、なんと一人の男がインド国境まで自転車で荷物を持ってきてくれた! 

そして無事にインド側の街・シリグリに着いた。時刻は13時。ダージリン行きの乗り合いジープはなかったので、同じバスの金持ちインド人カップルとジープをシェアする。(1台1300R=2340円 約3時間 僕らは650Rを払った。本来ならジープに10人乗るので一人130R)

この少し大型のジープに普段は客10人が乗る
ダージリン付近の街は高地にへばりつくようにある

シリグリからダージリンに向かう途中。茶畑が見事だ

なんとか24時間の移動を経てダージリンにたどり着いた。しかしここに来てバングラ疲れが一気に吹き出したのか二人とも体調は最悪。幸いダージリンは人種が混じっている土地なのでインド料理以外が楽しめる。街行く人の顔もネパール人・チベット人が多い。

しばらくはこの避暑地で静養に務めるとしよう。

インドは基本的に禁酒の国。だが、ダージリンではビールが飲める!! 着ているのは国境で紛失しかけた例の上着。ダージリンは寒い

ダージリンの街の中心の広場にて。友紀子にしては珍しく元気のない笑顔
犬も元気がない……嘘。アジアではどこの街でも犬はこんなもんです


♫ダージリンの街ソング
『ミルクティー』遠藤賢司
(小島麻由美カバー)

2013/04/06

【バングラデシュ/ダッカ3】差し歯と検便


バングラデシュに入った初日、夫の差し歯が取れた。
中国で買ったミルクキャンディーをなめたら取れた。

長く放っておくわけにはいかないが、ここはアジア最貧国といわれるバングラデシュ。
医療技術、環境はどうなっているのか…。

なんとか見つけたサイバーカフェ(ネットカフェのこと。こちらではこう呼ぶ。かっこいい)で
汗だくになりながら情報を探していると、ダッカに日本で医療技術を学び、
バングラデシュの医療拠点となっているという「山形ダッカ友好病院」があることを知った。

急遽、インド国境へ向かう旅程を変更し、再び、首都ダッカへと帰ってきた。

クミッラからは列車で移動。何度も止まりながら2~3時間の予定が計9時間の乗車に。
一等席がとれなかったため人であふれる二等席。前の席の赤ちゃんにおしっこをかけられる。


列車内。止まる度にみんな降りるのでガランとしている。
古い扇風機が暑い空気をカラカラかき混ぜる。

大変お世話になった山形病院。
腸チフスの予防接種もうってもらった(1本1500TK・約1800円)。


病院に着くと、日本語を話すムスリムのおじさんが。
それが、先生だった。

ここぞとばかりに、もう1週間続いている激しい腹痛&下痢の相談をすると、
原因を知るため、血液検査と検便をすることになってしまった…。
「何か口に入れたらすぐ出る」と話したところ、病院でビリアニ弁当が用意され
「じゃ、これ食べてここへ」と、小さい弁当箱(うんこ入れ)が手渡された。ひぃーー。
※翌日の結果はノーマル。下痢との戦いは2週間以上たつ今も終わらないけど、友紀子は元気です。キリッ!

複雑な気持ちで食事をする私。奥の赤い丸が例の容器。
でも私はやってやったぞ!

旦那がお世話になったデンタルクリニック。
下痢を診ていただいた先生の弟さんが先生。イケメン。

治療を終え出てきた夫は、汗だくになり、何かやりきった男の顔をしていた。
「暑くて、豪快だった。でも助かった」と感想をもらし、戦いを終えた侍のようであった。
よかったね!これでもう、笑顔が歯抜けじゃなくなるよ!

(診察は英語だが、「あーして(口開けて)」と「いたい?」は日本語だという)

久しぶりに歯が治り、鶏にかぶりつく夫。

病院情報


YAMAGATA DHAKA FRENDSHIP HOSPITAL
6/7 Block-A,Lalmatia.Dhaka-1207