キラキラと陽光が揺れる。憧れの作家が暮らした土地だ |
作家・檀一雄。小説『火宅の人』で知られ、太宰治との交流、その作品の傾向から『最後の無頼派作家』といわれた。昭和51年に没しているので、今なら“檀ふみのお父さん”の方が通りがいいだろう。
僕はこの作家の豪放さと面白さに高校時代から入れ込んでいて、大学の卒業論文も檀一雄の評伝を書いた。その卒業論文では、沢木耕太郎が妻・ヨソ子をインタビューした本『檀』に対抗心を燃やし、火宅の人に出てきた愛人・矢島恵子のモデルとされた人物に会いにいったりした。今となってはその出来、及び行動(取材とか言ってみたかった)に恥ずかしさしかないが、今の仕事に就く原点にはなっている。
他にも沢木さんの卒業論文を友達と探して、お会いできたりとかのエピソードもあるのだが、これはまた別の機会に。
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こんなに檀一雄好きの僕だから、ポルトガルに行くことがあったら、檀一雄が住んだ土地・サンタクルスに行くのは必然だ。
事前に調べてみると、檀一雄が晩年に住んでいたサンタクルスは寂れた漁村からリゾートに生まれ変わっていて、ホテル代も50ユーロ(6500円)からと高い。リスボンからの日帰りで向かった。
リスボンからはRede expressosでTres Vedras(トレスベドラス 片道6ユーロ・1時間半)へ。そこからSantcruz(サンタクルス)行きのバスに乗り換える。30分ほどでビーチに下ろされた。(路線バス・片道2.5ユーロ)
ベドラスの切符売り場。周辺にはカフェが少しあるぐらいの田舎町だった |
眼前には初めて見る大西洋が広がっている。思っていたよりも波が高い。海の家でビールを一杯飲んで、檀一雄の石碑を探してみた。
昼間から飲むビールの心地よさよ。海の家には水着姿の老人がたむろしていた |
海岸を見下ろす階段を昇ってみる。すると、詩が書かれた石碑がぽつりと建っていた。
『落日を 拾いに行かむ 海の果』
家庭を顧みない豪放磊落な生き方をしていた檀一雄。死期の迫った晩年、彼はどんな思いでサンタクルスの夕陽を見ていたのだろうか。
海を見下ろす絶好の場所に建つ石碑 |
温暖ではあるが、意外に激しい地形が日本海を思い出させた |
砦のようなものが復元されていた。はしゃぐ嫁 |
檀一雄通り。1年数カ月住んだだけなのに通りの名前になるとは! フランスではビクトルユーゴー通りをよく見かけた |
檀一雄通りに彼が住んだ家がある。はしゃぎたいがおなかがすいて限界 |
ポルトガルも老人が多かった。日本より明るい表情なのが救いだが |
リスボンに帰るバス内から、きっと檀一雄も見たであろう夕陽が見えた |
とても魅力的な記事でした。
返信削除また遊びに来ます!!
ありがとうございます!
削除日本からはるか離れたポルトガルの地で檀一雄のおもかげに触れられたのは、なかなかの感動でした!