インド・ダージリンでたっぷり静養した我々が向かう次なる土地は「ネパール」。
旅人の沈没地としても有名なカトマンドゥを目指す。
朝7時。
まずは山を下りシリグリまで向かう乗り合いジープを探す。
最大10人でシェアしてお金を出し合うため(安くするため)、人数が揃うまで待つことになる。
ところがシリグリに向かう人はなかなか現れず、客引きのおじさんたちもダラダラ。
しびれを切らし、「ほかの車で向かうよ」と言ったとたん、
俄然やる気をみせ電話をしたり、声をかけたり。
結局、私たちを含め3人と、途中地元民を拾ったり下ろしたりしながら、
のんびりとシリグリへと向かった。(約3時間、人数が少なかったため2人で200INR)
行きは猛スピードで移動した道程だが、帰りはかなりゆっくり。 たった3時間の移動にもかかわらずティーブレイクをはさみ談笑。 |
ついさっきまで涼しいダージリンにいたのに、シリグリは30度を越す暑さ。
子どもらに「ジャパニー」とからまれつつ、インド側の国境「パニタンキ」へ向かう車を探していると、
乗り合いの小型ワゴンが通りかかった。
小型ワゴンの中には、すでにお金持ちネパール家族4人と老夫婦2人が乗っておりぎゅうぎゅう。
荷物も多いため、暑い車内の中、文字通り重なりあって座ることになる。
にもかかわらず、なぜか運転手は道行く人に「パニタンキー」と声をかけ、
さらに客を乗せるつもりらしい。
もし乗せるとしても助手席にあと1人が限界(もちろん助手席にはすでに人が座っている)。
100メートルおきに車を止め熱心に客を探しに行く姿に
「そこまで満員にしたいのか…」とうんざりした空気が車内に漂う中、
運転手が意気揚々と連れてきたのは、父母に子供2人の4人家族であった!
どこをどうひっくり返してもあと4人乗れるスペースはないが
運転手は本気らしく、ドアを開け「さぁ乗れ」と促す。
さらに不思議なことに、そのお父さんも乗り込もうと試みたりしている。
「そこ、完全に他人の膝の上だよっ!!」
先に乗っていたネパール家族もさすがにブチ切れ猛抗議。
何を言っているのかわからないが、運転手も「乗れるよ!!」というジェスチャーで激ギレ。
さらに乗り込もうとする父に、「よしましょうよ」という顔の母(そう、あなただけが正しい)。
理解不能な不毛なやり取りがしばし続き、「そうか、これがインドだな」とニマリとしてしまった。
結局、その4人家族は乗れず(最初から当たり前なのだけれど)、
それでもあきらめきれない運転手はさらに客引きを続け、
1人を助手席に追加して何とか国境まで走ってくれた。
やれやれ。
インドのイミグレは書類を記入するだけですんなり通過。
オフィスへ向かうガランとした道の途中で、日本人の旅人とすれ違い言葉を交わしたのは
何だかちょっと感動的だった。
ここでいいのか不安になってしまうほど何もないインド国境・パニタンキ。 |
ネパール側の国境カカルビッタまでは、リクシャとともに徒歩で渡る。 |
錆びさびの看板に歓迎される。 |
ネパール側のイミグレも和やかに通過。
親切な担当者に教えてもらいながら書類を記入し、30日間のビザも手に入れる。(1人2500INR)
さらにここからカトマンドゥまでバスで約17時間の移動となる。
今までの移動の中で一番狭い座席で、かゆいクッションであった…。
出発してから約3時間は、走っているより止まっている時間の方が長く、
大量の荷物をバスの上に運んだり、そのため元々天井に乗ってた荷物を
車内に持ち込んでくくりつけたりと、かなり効率の悪い作業を繰り返していた。
私たちの席の横にも悪臭を放つ液体入りポリタンクが設置され、
この後の13時間が、地獄の移動となってしまった。
窓の外の空気もくさいし、中も臭いし───。
※このポリタンクのにおいは、私の人生の中における「臭いものNo.1」にランクインした
長く吐いて一瞬で息を吸う、オリジナル呼吸法など開発してみたが
決して太刀打ちできない悪臭であった。
あんなものを国境からカトマンドゥまで運ぶ必要があるのか・・・・甚だ謎である。
たぶんないよ。いや、絶対ないね。
この大量のさとうきびもバスの上へと運ばれていった。 |
バスの中。気休めにしかならないが悪臭対策武装。 |
出発から24時間超えてなんとかカトマンドゥに到着。
鼻や耳から次から次へと出てくる黒い物体に戦々恐々としながら
何も考えずに、ひとまず眠ることにした。
人気のないカトマンドゥにどうにか到着。 |
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